加藤恵がフラットなのは進化していたからである

冴えない彼女の育てかた」は私が好きなラノベ作品の内の一つである。

アニメは2期まで放送され、現在は劇場版が製作中である。人気作品と言っていいだろう。原作は13巻で完結している。

本記事には、ネタバレが含まれる。この記事を読んで気になった方は作品に触れてみてほしい。また、作品に触れてから本記事を読むとより理解できるだろう。

加藤恵とは

冴えない彼女の育てかた」(以下冴えカノ)はジャンルで言うとラブコメディに分類される。詳しい説明はこちらを見ていただきたい。
作品の概要と大体のストーリーは掴めたと思う。

本記事のタイトルにある加藤恵とはメインヒロインである。主人公と彼女が結ばれるのは決定事項である。本記事では彼女について掘り下げていく。その前に、押さえておきたいポイントがある。それは彼女がどのようなヒロイン的特徴を持っているかである。サブヒロインの中でも主要キャラである澤村・スペンサー・英梨々霞ヶ丘詩羽のヒロイン的特徴と比べる。

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澤村・スペンサー・英梨々

 なかなかの盛り具合である。

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 霞ヶ丘詩羽

  • 黒髪
  • ロング
  • 先輩
  • 黒スト
  • 巨乳

こちらもなかなか。

 

登場回数も多く、サブヒロインの中でも主要キャラである澤村・スペンサー・英梨々霞ヶ丘詩羽のヒロイン的特徴を挙げた。外見だけを見ても定番である。その上、幼馴染、先輩、などの魅力的かつ定番の内面的なヒロイン的特徴もある。強い。そして、これらを押しのけるメインヒロインである加藤恵のヒロイン的特徴を挙げる。

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  • ショートボブ

以上だ。

ヒロイン的どころか強いて言うならくらいの特徴と言えばこれぐらいではないだろうか。フラット(感情表現の抑揚が少ない)という重要かつ彼女独特の特徴も持っているが、ヒロイン的特徴ではないため除外した。こちらについては後程説明をする。また、メインヒロインと言えば、特に例を挙げられるわけでなくもロングヘアーが浮かぶ人が多いのではないだろうか。

こちらの本には、イラスト担当である深崎暮人氏へのインタビューが掲載されている。加藤恵のキャラクターデザインについての質問でこう答えている。

恵はいろいろなキャラクター的な記号をそぎ落とした結果、それでもかわいく見えるようにデザインしたつもりです。(中略)髪型といえば黒髪ロングのヒロインって正統派のイメージじゃないですか。だから黒髪ロングの恵というのも頭の隅にあって、

冴えない彼女の育てかた Memorial (ファンタジア文庫)

黒髪ロングといえば、上記に挙げた霞ヶ丘詩羽である。彼女こそ、デザインで言えばメインヒロインに見える。しかも正統派の。ショートボブがヒロイン的特徴に該当するのかも怪しい。加藤恵は、特徴が無いようにデザインされたのだ。しかし、普通に可愛い。上記に挙げた2人に特別劣っているわけではない*1

フラットなメインヒロイン

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By Trashbag - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

加藤恵の最大の特徴としてフラットが挙げられる。フラット - Wikipedia
原作の中ではこうだ。
「加藤、改めてお願いだ.....」
「あ~、うん」
そして加藤は安定のフラットな表情で俺の言葉を待つ。
「理不尽かもしれない。ウザイかもしれない。馬鹿じゃないのこいつとか思ってるかもしれない」
「えっと、ごめん。それ『かもしれない』いらない……」
彼女は感情の抑揚が少ないことが強調されている。返答も素っ気なく、絶対無表情である。とにかく、変化が少ない。何か言われてキーキー怒るわけでもない。アニメを見てみると、表情から何を考えているのか分かりにくい。平坦で、一定なのだ。あくまでも、抑揚が少ないのであって、感情が死んでいるわけではない。
メインヒロインとしてどうなの?と思うかもしれない。本来の楽しみ方としては、冴えカノのタイトル通りで、加藤恵が立派なメインヒロインに育つ過程を楽しむ。だろう。最初は感情の抑揚が少なかったのに、物語が進むにつれて泣いて感情的になったり、思いっきりむくれて怒ったりするようになったらどうだろう?オタクはイチコロだ。オタクはギャップに弱いのだ。事実、冴えカノはその通りである*2
しかし、立派なメインヒロインに育つ過程は長かった*3。その間に、主人公がサブヒロインと結ばれることは無かったのだろうか。ご都合主義というやつかもしれないが、いまいち納得がいかない方もいるだろう。加藤恵は冴えていなかったのだから。外見上の特徴がない。受け答えも素っ気ない。では、なぜ加藤恵は魅力的なサブヒロイン達を出し抜くことができたのか?それは加藤恵が進化していたからである。進化していったのではない。既に進化していたのだ。順に追ってそれを説明していく。

排卵の隠蔽

2回目の登場だが、今回もこちらの本を参考にした。
文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

人間の女性は排卵を隠蔽する。我々男性は、女性の排卵時期を知ることができない。女性ですら科学的なアプローチが用いることができるようになった現代まで知ることができなかった。一方、雄雌共に知ることができる動物は野生には数多く存在する。代表的なのはヒヒだ。ヒヒの雌は、排卵時期になると膣の周りが赤くなる。今交尾すると受精可能であるというシグナルになるのだ。野生動物にとって交尾とは非常にリスクを伴う行為である。エネルギーを消費し、敵に捕食される危険も伴う。排卵時期が分かれば、この危険な交尾の回数を最小限に留めることが出来る。闇雲に交尾を行う個体が淘汰されるのは当然である。
 

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By André Karwath aka Aka - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, Link

このように、排卵時期を示すことは生き残る上で重要な役割を果たす。しかし、我々人間は隠蔽されている。排卵時期の隠蔽に、どのようなメリットがあったのだろうか。

まず、我々の祖先は現在のような一夫一妻ではなく、ハーレムの形態を取っていた。そして、排卵時期を示すシグナルはわずかなものだった。ここがスタートである。そこから、以下のようなメリットによって排卵時期を示すシグナルが隠蔽されたと考えられた。

①父性の攪乱

雄は、他の雄の子供を育てない。わざわざライバルの遺伝子に対して自らのエネルギーを使うようなことはしない。例としてゴリラが挙げられる。ゴリラはハーレムの形態を取っている。しかし、ハーレムが他の雄に乗っ取られることがある。その際、雌が育てていた前の雄との子供は、乗っ取った雄によって殺される。そして、自らの遺伝子を残すために、乗っ取ったハーレムの雌を受精させる。雄はいいかもしれないが、雌にとってはこの損失は大きい。それまでに育ててきた時間やエネルギーが無駄になるからだ。

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By https://www.flickr.com/photos/deepphoto/ d_proffer - https://vk.com/photo416117648_456241556/$, CC 表示 2.0, Link

しかし、ここで雌の排卵時期が隠蔽されていたらどうだろう。雌が多くの雄と交尾することによって、生まれてきた子供の本当の父親が分からなくなる。どの雄にとってもその子供は自分の子供かもしれないからだ。そのため、子を殺すような真似はできなくなる。父性を攪乱することにより、雌は子殺しを防ぐことができる。

②父親をとどまらせる

今度は人間で例えてみる。もし、女性の排卵時期が分かっていたらどうなるだろうか。妻が排卵時期の時だけ、夫は妻とセックスを行う。それ以外の日は、セックスをする気にはならないだろう。外へ行き、排卵時期の女を孕ませるようになる。また、不貞の心配もない。なぜなら、妻は排卵時期でないことが分かっているからだ。こうして、父親が家にも帰らず、よその女を孕ませることに力を入れていては、母親一人で子供を育てなければならない。それは大変だ。子供を育てることが難しくなってしまう。

一方、排卵時期が隠蔽されていたらどうだろう。夫は排卵時期がいつなのかわからないので妻とのセックスに勤しむようになる。また、排卵時期かもしれない妻を家に放っておいては、よその男に孕ませられるかもしれない。

これは、ハーレム、もしくは乱婚の形態を取っていた祖先も同じである。雄が子供に対して父性を確信していれば、父親をとどまらせることにより、確実に子供を育てることができる。

 

排卵時期を隠蔽するメリットを2つ挙げた。我々の祖先はどちらかのメリットによって排卵時期の隠蔽を選んだ。ここで、疑問が生じる。この2つのメリットは対極にあるのだ。我々の祖先はどちらを選んだのか。①の場合、子殺しが一般的でない現代社会においては成り立たないだろう。一夫一妻の形態がほとんどであるし、多くの父親が自分の子供に対して父性を確信しているだろう。遺伝子検査まであるのだ。また②において、ずっと夫をだまし続けるのは難しいだろう。特に、まだ祖先がシグナルを隠蔽していなかった時期ともなればだ。

これらのメリットに対して、祖先は直接二択の選択をしたわけではない。配偶の形態によって切り替わったのだ。

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ジャレド・ダイアモンド、『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』
 

 まず、先に述べたように、我々の祖先はハーレムの形態を取っており、効率のよいセックスのためにわずかな排卵シグナルを出していた。ここで、①父性の攪乱のメリットにより、排卵シグナルを隠蔽するようになる。排卵シグナルの隠蔽が浸透したところで、配偶システムがハーレムから一夫一妻へ切り替わる。その際の隠蔽するメリットは②父親をとどまらせるためである。このように、2つのステップを踏んで排卵シグナルの隠蔽は浸透していき、現代の人間の女性にも受け継がれている。つまり、排卵の隠蔽をしなかった者は自らの遺伝子を残すことができなかった。

加藤恵は進化していた

我々の祖先は、排卵を隠蔽するよう進化してきたことを述べた。ここで話を戻す。

加藤恵の重要かつ最大の特徴であるフラットとは、排卵シグナルの隠蔽を示していることに他ならない。自らの状態を外に出さず、常に一定。フラット。ちなみに、冴えカノ世界において、加藤恵以外の女性は排卵時期になるとシグナルを出すという意味ではない。あくまでも、彼女が進化した存在であることを、排卵の隠蔽とフラット(自らの状態をあまり表に出さない)を絡めて示しているということである。

サブヒロインたちは、主人公に赤面させられたり、感情的になり自らをさらけ出したりする場面が見られる。自らの状態を隠蔽できているとは言い難い。これでは生き残ることはできない。我々の祖先は隠蔽することによって淘汰から逃れ、自らの遺伝子を伝えていった。隠蔽できない者は淘汰されてきたのだ。それがオタク主人公の争奪戦であっても。加藤恵は自らの状態を隠蔽(フラット)している。それは淘汰から逃れるための特徴を備えているということである。だから、この争奪戦を生き残ることができるということなのだ。

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進化とは、性淘汰、自然淘汰から逃れる選択を行うことである。また、進化には果てしない時間がかかる。排卵シグナルの進化のスタートだった我々の祖先は、およそ900万年前に生きていた。加藤恵は他のヒロインに比べ900万年分進化していると言ってもいい。この圧倒的アドバンテージがあったからこそ、冴えないメインヒロインである加藤恵は、他のヒロインを出し抜くことができたのだ。

 

なにをやかましいことを長々と言っているのだこのオタクは。と思う方のために、加藤恵が進化していることがとてもよく分かるシーンをお見せしよう。

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主人公宅でカレーを作り、味がお好みか聞いているシーンである。このような行為は、友達同士で行うことはまずないだろう。では、恋人同士か?いや、違う。夫婦だ。夫婦とは、恋人よりも更に進んだ関係である。サブヒロイン達は、幼馴染や先輩後輩、サークル仲間という関係止まりであった。しかし、加藤恵のみこのような夫婦にも見える関係を築いている。

冴えカノは一見するとハーレムものに見える。物語序盤、加藤恵の優位はそこまでであった。これは祖先が最初に排卵の隠蔽へと一歩踏み出した状態である。主人公は加藤恵に一目惚れしているものの、サブヒロインの勢いがあり、まだハーレム成分が残っている。しかし、物語中盤になると彼女らは淘汰されてしまう。そして、加藤恵のみこのような一夫一妻とも見える関係になることができた。配偶システムがハーレムから一夫一妻へ切り替わったことを示している。

おわりに

なぜ冴えない加藤恵が他の魅力的なサブヒロインを出し抜くことができたのか、排卵の隠蔽の歴史から考察した。長くなってしまったが、加藤恵がなぜ優位に立てたのかを確認できた。今は劇場版の公開を待つばかりである。

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

 

 

*1:主人公は加藤恵に一目惚れしたので、見た目という点においてはむしろ一番優れているのかもしれないが...。

*2:原作7巻、アニメ2期#8でイチコロされたオタクは多いはずだ

*3:原作8巻辺りで冴えてきた