古典SFの面白さ

「Final Anchors」を読んだ。「新しい世界を生きるための14のSF」に収録されていた。

古典SFが好きで読んでいるけど、この「Final Anchors」にとても「最近のSF感」*1を感じたので、それを書き連ねたい。この「Final Anchors」をいかにも「イマドキのSF代表」みたいに扱ってるけれど多分違う。

 

「Final Anchors」では車載AIが進化した社会が描かれている。車両事故発生までの刹那に、2対のAIによってどちらがアンカーを打ち込み自己破壊するかの「審判」を行う。モチーフはトロッコ問題。三体もだけど、こういう古典でシンプルな問題をモチーフにすると大体面白くなる。

驚くべきはその設定描写。既存品の解説かのように解像度が高い。車載AIはネットワークに繋がれており、事故など皆無だが、自分で運転する喜びのためにAIを無効化して運転する人たちのように、なんともありがちな社会問題。

でも、僕にはこの解像度の高さが味気ない。AIモチーフのSFだけど天井が見えていて、想像できて、容易に映像が頭に浮かんでしまう。近未来に僕らが追い付いてしまって、相対的に「墜ちてきた」この未来観にはワクワクが無い。

僕が古典SFを好きなのは「未熟な未来観を補うために紡ぎだされた言葉たち」がワクワクさせてくれるから。例えば、一番好きなのは「ニューロマンサー」で電脳空間を説明するのに用いられた「流体ネオン折紙効果」で、もう訳が分からない。もちろん造語。

ニューロマンサー1984年発行で、その頃はようやく日本でインターネットが普及し始めた頃。とはいっても大学が繋がり始めた程度。インターネットが世界中に普及した未来どころか、それに意識を没入したときの景色を示す言葉なんて何もないわけで、「流体ネオン折紙効果」の持つ無限の可能性や見えない天井感は天才的だと思う。

 

そんなワクワクさせる言葉たちを求めて古典SFを漁ります。

*1:Final Anchorsは2018年の作品であり、4年前なので最近のSFではないと思う