虐殺器官の感想、虐殺の文法の正体についての考察など

先日、虐殺器官を読んだ。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

この本を手に取ったきっかけは、一九八四年に関連した書籍を調べていた時である。

ja.wikipedia.org

Wikipediaの文化的影響の項に虐殺器官の名前があった。虐殺器官は、劇場アニメ化されている。その広告等で名前だけ記憶に残っていた。私は既に、一九八四年、アンドロイドは電気羊の夢を見るか?時計じかけのオレンジすばらしい新世界、等の名作SF小説を読んだ。他にも名作SF小説と呼ばれており、SF小説ファンなら読むべきであろう作品はまだまだあるが、ひとまずは最近のSF小説に興味が湧いたので虐殺器官を買った。本記事では、感想と、物語の核である虐殺の文法の正体についての考察を書く。

一九八四年との関係

一九八四年に影響を受けた作品として興味を持ち、虐殺器官を読み始めた。読み進めると、一九八四年に関連した単語が出てくる。オーウェルとは、一九八四年の作者であるジョージ・オーウェルを指している。ビッグブラザーとは、一九八四年の作中における独裁者である。

オーウェルなら二重思考と呼んだかもしれないそれを、テクノロジーが可能にしてくれたというわけだ。 

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

「別に説明してくれなくていいわ。わかってるわよ。わたしだって、やれ管理社会だ、オーウェルだ、ビッグブラザーだ、とか言う気はないから」

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官の世界の住民達は、テロに対する抑止力として、そこかしこで行われる個人認証を受け入れている。個人認証は、一九八四年のテレスクリーンのようにまではいかなくとも、認証記録を辿れば個人を追跡可能であり、プライバシーが筒抜けなのでないかという恐怖を与える。しかし、あくまでもテロに対する抑止力である。まず、テロリストの侵入を防ぎ、万が一テロが起きたときは認証記録を元に追跡する。ビッグブラザーが純粋な権力のためだけに管理していたのとは違う。

「では、わたしがその問いに対する答えを教えよう。こういうことだ。党が権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。他人など、知ったことではない。 われわれはただ権力にのみ関心がある。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

虐殺器官の世界は、オーウェルが描く世界ほど支配的ではない。住民達もそれを理解している。もし、この先更にテロの脅威が増した際に、オーウェルの描く世界のように、徹底された管理社会が訪れるかもしれないという恐怖を抱えていると思う。テロに対する抑止力としての管理と、失われていくプライバシーをどこまで許容するか。世界がビッグブラザーが生まれるまでの過渡状態にあるのではないかという不安がうまく描かれていると感じた。

利己的遺伝子論について

虐殺器官には、登場人物がミームやESS(安定的戦略)について言及するシーンがある。作者は利己的遺伝子論についての知識があると推測される。ESSについては、以前に記事を書いたことがある。

nmzfish.hatenablog.com

利己的遺伝子論とは、自然選択が遺伝子に対して働き、個体の生存や繁殖が成功するような戦略を取る者が淘汰から逃れられるという説である。一方、利他的遺伝子論もある。こちらは、生物は種の保存に有利な選択をするよう進化してきたという説である。現在は、利己的遺伝子論の方が正しいと認知されている。作中でも、ウィリアムズが利他的遺伝子論について「厳密には正しくない」と言っている。しかし、ルツィアは利他的遺伝子論を支持している。

「いいえ、昆虫の群れを考えてちょうだい。個のレベルを超えて、群れに貢献する昆虫は枚挙に暇がないわ。巣を守るために毒針を一刺ししたあと死んでしまう蜂は、自分の生存を放棄して、群れあるいは種全体の保存のために行動しているもの」

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

詳しくは説明しないが、蜂は真社会性昆虫であり、血縁度の概念が理解できていないと、利他的な振る舞いをしているという考えに囚われてしまう。なぜルツィアは誤った知識を披露した(なぜ作者はルツィアに誤った知識を披露させた)のか?読んでいて疑問だったが、最後まで読んで分かった。これはルツィアが死ぬ伏線である。

Rift.svg
By Kimdime69 - Image:Great_Rift_Valley.png made by En rouge. Blank map: Image:Africa map political.svg, CC BY-SA 3.0, Link

虐殺器官の終盤、クラヴィスはジョンを追ってヴィクトリア湖沿岸産業者連盟へ向かう。ルツィアも来ていたのは、ジョンの行為を世界に知らしめる為であった。アメリカという国をテロから守るために、テロを仕掛けうる者たち同士で争わせる。そのような内戦状態では、他国に対してテロを仕掛ける余裕などない。もちろん、その内戦では、テロリストではない一般人も多く死んでいる。アメリカの平和が、この多くの屍の上で成り立っていることに目をつむれないルツィア。事実を世界に知らしめるという利他行為を取ろうとしたルツィアは生き残れなかった。進化するのは種の保存のために行動するような利他的な個体ではなく、利己的な個体なのだ。つまり、登場人物の生死に利己的遺伝子論が適応されており、利他的な考えを持っているルツィアは死んだのだ。

ちなみに、ジョンも射殺された。アメリカさえ平和であればいいという利己的なジョンも死んだのだ。しかし、エピローグで、ジョンは虐殺の文法を生成するエディターをクラヴィスに残していたことが分かる。それを用いて、今度はクラヴィスアメリカに虐殺の種をまき始める。虐殺の文法を紡ぎだす力は、ジョンからクラヴィスへ受け継がれた。つまり、利己的であるジョンは自らの能力を他の個体へと受け継がせる事ができた。このことからも、登場人物の生死に利己的遺伝子論が適用されていることがわかる。

しかし、ルツィアも同様に、ジョンの行為を世界に知らしめるという目的を果たしているが、これはルツィアの能力ではない。利他的な個体の特徴は淘汰されたと考えていいだろう。利己的な個体が生き残るという利己的遺伝子論にかなっているが、どちらも死んでしまったので、まだ考察の余地がある。

虐殺の文法の正体についての考察

ジョンが用いる虐殺の文法について、作中を通して詳細は語られない。

作中において虐殺とは、人間の遺伝子に組み込まれた機能であり、食料不足に対する適応だと述べられている。多くの個体によって形成された社会に情報を伝達し、影響を及ぼすには、他の生物であれば匂いなどのフェロモンを用いる。しかし、人間は既にそのような嗅覚が退化しており、一対多に情報を伝搬できるのは言葉であった。虐殺が起こる前には、ラジオやテレビに虐殺の文法が現れ始める。

虐殺の文法の仕組みは分かるのだが、具体的に、例えばテレビで何が流れるのか。具体的な部分が想像できない。そこで、以前読んだ本を参考に、虐殺の文法の正体について考察する。

参考にしたのはこちらの本だ。

若い読者のための第三のチンパンジー (草思社文庫)

若い読者のための第三のチンパンジー (草思社文庫)

 

人間は他の霊長類と祖先が同じにも関わらず、変わった特徴を多く有している。その中に、人間同士の虐殺が含まれる。本来、人間同士の虐殺は倫理規定によって抑制される。しかし、以下の3つのように、人間同士の虐殺を正当化する手段がある。

  1. 自己防衛
  2. 自らが「正当な」宗教、人種、政治的信条であり、レベルの高い文明だと主張する
  3. 被害者を動物だと決めつける

ヒトラーポーランド軍がドイツの施設を攻撃したとでっちあげ、それに対する自己防衛として開戦した。

宗教の正当性を戦う例はたくさんある。誤った側には虐殺でも何でもしてもいいと倫理規定が外れるのだ。

ナチスユダヤ人をシラミだと決めつけ、ボーア人はアフリカ人をヒヒと言っていた。

 

上記の正当化の手段を、虐殺器官で描かれた虐殺に当てはめてみる。

ラヴィスの最初の標的であった国防大臣は、自己防衛に該当すると思われる。

「虐殺だと。われわれの平和への願いをそのような言葉で冒瀆するのか。これは、われわれ政府と国民に対する卑劣なテロリズムとの戦いなのだ」

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ヒンドゥー・インディア共和国暫定陸軍のリーダー及び上級メンバーの内一人は、自らを正当な宗教だと主張しているように見える。また、自己防衛も混じっている。

「われわれは大いなるインドの大地を汚すモスレムどもと戦っている聖戦の戦士だ。貴様ら拝金主義者と一緒にするな」

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

つまり、ジョンは、上記の3つを国民に刷り込ませるような言葉を広めていったのだと考えられる。正確には、例えば、軍事行動が自己防衛に過ぎないとする世論を形成したり、誤った宗派の人間と戦う必要があると大衆に訴えかけたり、虫けらは排除すべきだと刷り込ませたりしていたのだと思われる。虐殺の文法とは、良心のモジュールを抑制し、殺害の倫理規定を破壊するものであると推測される。

おわりに

伊藤計劃氏は、多くのSF作品に精通している。それらの作品のいいところを吸収しつつ、ノンフィクションに近いリアリティを追求した作風だと感じた。設定を練りこみ、作品の中で破綻しないフィクションというよりも、現実でありえそうな近未来フィクションという表現がしっくり来る。

また、伊藤計劃氏は、ディストピア小説に精通しているというより、単に好きなだけだと考えられる。計劃氏の作品をより理解するためにも、押さえておくべき作品がある。

ハーモニー

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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

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