僕好みのコーナーを作る書店員がいる本屋

最近、お気に入りの本屋ができた。理由は、僕好みの本が集まったコーナーを作る書店員がいるから*1である。

 

その本屋は元々、通りすがりにある上に品揃えが豊富なので頻繁に寄っているに過ぎず、特に思い入れはなかった。本屋のそのコーナーは「劉慈欣コーナー」*2と思っていて、三体3部全5巻に始まり「円」「流浪地球」「老親介護」が置いてあり、そこに書店員の存在は感じられなかった。

しかし、ある時、そのコーナーに「爆発物処理班の遭遇したスピン」が置かれていた。その当時、佐藤究先生は「テスカトリポカ」で知っており、本自体は気に入っていたが作家としては特に関心がなく、短編集ということで手に取るには至らなかった。劉慈欣は流行だったし、便乗して最近の本なだけで置いてあったと思っていた。

少し経ったころ、読む本が無くなったうえに、本屋をブラついてもビビっと来る本が無かったため、Amazonでスクロールしていたら勝手に流れてくるオススメ本たちを眺めていた。本は基本的に書店で買うから、Amazonからオススメされる本など...と思いつつもポチったのは「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」だった。ダンサーが事故で足を失うも、義足を取り付け再びダンスに戻るというのが話の大筋。読む前はサイバネ臭を気に入ったが、読み進めていくと、ダンスの世界観が面白い。大御所ダンサーから主人公への批判を通じて語られるダンス観は、ダンスとは何か?について生物学的観点も含まれていた。また、その枠を超えた「表現者」としての要素、例えば「観客に何を感じさせたい?」を主人公に問うシーンは、なんかスポ根っぽくて熱くて好きだった。

Amazonのオススメも侮れないな...」と興奮していた頃、再び例の本屋に向かうと、なんと、劉慈欣本に紛れて「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」が置かれていた。劉慈欣と並ぶような話題本でもなかったと思うし、そのコーナーに誰かの意図と、その誰かと僕のツボが共通だと感じた僕は、そのまま「爆発物処理班の遭遇したスピン」を買った。

短編集で、1作目は表題の「爆発物処理班の遭遇したスピン」だった。えげつい量子力学の解説に振り回されつつも、テスカトリポカにあった残虐性も感じられ、なんともツボでした。またジェリーウォーカーでは、人気のクリーチャークリエイターが、実は自作キメラを参考にしてましたと言うなんともホラー。この部分は、テスカトリポカでもあったように強大で残虐な犯罪がそこらで行われていたというようなゾッと感が気持ちいい。

 

あのコーナーは多分、そこら中の本屋にあったような劉慈欣コーナーではなくて、ある書店員が己の趣味のままにオススメ本を並べたコーナーだったと思う。過去形で語っているのは残念ながら、そのコーナーは消えてしまったからである...。

 

 

*1:推測。書店員がいるかも不明

*2:どこの本屋にもあったと思う

欲しいものリストに埋もれたっきり旬を過ぎてしまった良本

本には旬があると思う。

 

それは、世間の旬である「映画化決定」「ドラマ化決定」などではなくて、自分の中での「SF小説」「ビジネス」みたいなジャンルの旬。

旬が発生する理屈はなんとなく分かってきている。海外SF小説は好きなジャンルで、その中でも古典の名著は今でも様々な作品に影響を与えていることもある。読んでおきたいなぁと意気込むけど、まず翻訳な点でどこか読みづらさがあって、読むのに体力を使う。そんな疲労困憊状態で読むのは大体ビジネス本である。まず目次を読んで取捨選択をする。その中でも、読み進めて自分の糧となる部分はもっと少ない。なので、読むのに使う体力が非常に少ない。日本人作家小説はちょうど上記の真ん中くらい。面白ければ一気に読めてしまうのも魅力。翻訳本に疲れてから日本人作家の本を読むと、物語がスルリと入ってくるのでやっぱ違うなぁと思ってしまう。

 

最近は、読もうと思ってAmazonの欲しいものリストに入れたっきり、順番待ちの間に旬を過ぎてしまって読んでいない本が多い。「ザリガニの鳴くところ」はまさにそんな本で、去年の本屋大賞の時に気になって以来、手に取るほどの取っ掛かりが無くて読んでいなかった。「ザリガニの鳴くところ」は翻訳本部門だったので、上述の通り、翻訳本というだけで消費される体力を見積もってしまって、その上取っ掛かりもないとなると手が出せなかった。しかし最近、ふと寄った本屋で帯にある「『蠅の王』×『侍女の物語』のポスト・ディストピア小説」が目について、ちょうどどちらも読んでいて印象も良くて、かつ近々映画がするとのことで読んでみたら大変面白かった。1年半くらい寝かせていたらしい。映画も見た。なんか年齢層が高かった。もちろん若年層向けではないと思うんだけど、本を読む世代なのかなぁとしみじみ。

 

 

 

「グレイスイヤー」を読み始めた。こちらも『蠅の王』×『侍女の物語』っぽい。

翻訳本なのでゴリゴリ体力が削られている...。

 

エッジランナーズ面白すぎ

サイバーパンク エッジランナーズを見た。しかもイッキ見。久しぶりにここまでアニメに没入した。それくらい面白かった。

サイバーパンク エッジランナーズ (cyberpunk.net)

感じたことや妄想を雑多に書き連ねていく。

ガジェット類や各用語

冒頭からICE(Intrusion Countermeasure Electronics:侵入対抗電子機器)が登場するあたり「もうこのへん履修済だよね?」と言わんばかり。ギブスンへのフォローが見られたので初っ端でこの世界を大変信用できた。また、これらを破るクラッカーはランナーで、ディープダイブすればインターネット空間に意識を没入できる。舞台のナイトシティはコーポという巨大企業が牛耳っており、本作ではアリサカミリテク。ミリテクは軍事企業っぽい感じがする。(名前もミリタリー×テクノロジー?)

お気に入りの「MaxTac」

僕のお気に入りはサイバーサイコシス処理専門治安維持部隊「MaxTac」で、コイツら見た感じ巨大クロームの類も入ってない生身の人間(或いはとんでもない密度で生身の人間みたいなボリュームでヤバい性能してるサイボーグ)なのに、サイバーサイコシスとやり合う強さなのがいい。これがゴテゴテのサイボーグだとダメなんだよ。それか、対サイバーサイコシスでEMP使用が大前提だから、隊員は生身の方が有利とか。なにそれ鬼哭街じゃん。それはそれとして、MaxTacはちょくちょく登場するんだけど、みんな絶対にやり合おうとせずに「ヤベェ!MaxTacが来るぞ!」な具合で恐れられてる。それで、ここからが重要で僕の妄想だが、MaxTacの装備はミリテクが供給してるし、一方でサイバーサイコシスの元となる違法強力クロームの類をナイトシティにバラ撒いてるのもミリテクだよ。狂暴化と数を増すサイバーサイコシスに対して、MaxTacの装備も強くせざるを得ない。MaxTacの運営元が政府なのかは分からないけど、ミリテクにより強い装備の発注が舞い込むのだ。放火魔の消防士みたいな。ミリテクはそうやって巨大化を続けている。

エッジランナーズはポストサイバーパンク

エッジランナーズの世界観は、大企業が支配するディストピアやサイボーグ技術など、紛れもないサイバーパンクである。一方で、節々に現れるTRIGGERのコミカルさが手伝ってスノウ・クラッシュのようなポストサイバーパンクな印象を受けた。

鬼哭街アニメ

このスピード感と描写が許されるなら、鬼哭街アニメ化も容易だな?と思った次第。

ただ、エッジランナーズのこの面白さはTRIGGER×サイバーパンクの親和性もあったと思う。鬼哭街はコミカルシーンが全くない。この殺伐さをどう表現...と思ったら、そういえばすでにPSYCHO-PASS攻殻機動隊で描かれてたなぁと。

おわり

過去に書いたニューロマンサー関連の記事はこちら。

nmzfish.hatenablog.com

nmzfish.hatenablog.com