縦のアイカツ!横のアイカツスターズ!
昨年末からアイカツ!シリーズを見始めた。先月にようやく、アイカツ!全178話+劇場版と、アイカツスターズ!全100話まで見終わった。アイカツスターズ!は、50話まで見終わって少し経った頃に、dアニメストアで2ndシーズン(51~100話)が配信され始めたのでタイミングもちょうどよかった。アイカツスターズ!の劇場版はdアニメで配信されていないので、近いうちに借りるなりして視聴したい。
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ここらでアイカツシリーズ*1を見た感想を書く。以前書いた記事に、アイカツ!を途中まで見た感想を少し書いたのでそちらも見ていただきたい。本記事では、アイカツスターズ!の感想を述べつつ、アイカツ!とアイカツスターズ!の違いを書く。
アイカツスターズ!を見始めたときは、アイカツ!では定番だったデザイナーがいないことや、あまりにも特別な存在に描かれたS4に違和感を感じた。また、ただゆめちゃんに勝ちたいだけという、ファンのためですらないローラちゃんのアイカツにも疑問を感じた。謎の力に頼り、努力を怠ったゆめちゃんが勝つことは、アイカツ!で描かれた「努力は報われる」が否定されたように感じた。しかし、これらはアイカツ!との違いではあるが、アイカツスターズ!の特徴*2として受け入れることができた。また、私が他に気付いたアイカツスターズ!の特徴と言えば悔し涙だ。アイカツ!では、悔しいシーンこそあるものの、悔し涙を見せることは非常に少なかった*3。また、涙を直接描写することも少なかった。しかし、アイカツスターズ!では、負けた時は感情を露わにする。しっかり悔し涙を流すし、それを描写する。アイカツスターズ!に慣れてしまうと、アイカツ!は劇を見ているかのように清潔すぎるのが気になってしまう。アイカツ!ではいちごちゃんは美月さんを超え、あかりちゃんはスターライトクイーンになる。なんだかんだ主人公は勝ってしまうのだ。しかし、アイカツスターズ!では、ローラちゃんは結局ゆめちゃんに勝てなくてS4にはなれなかった。こういうアイカツスターズ!の生々しさみたいな部分は非常に気に入っている。
アイカツ!とアイカツスターズ!を見終わって、両作品の違いを簡単に述べるなら、「縦のアイカツ!横のアイカツスターズ!」だ。アイカツ!では、いちごちゃんは美月さんに憧れ、あかりちゃんはいちごちゃんに憧れていた。いちごちゃんとあかりちゃんは、憧れの人に導かれるようにアイカツを始める。当然、0からのスタートなため、明確な上下関係がある。努力を重ね、憧れの存在に徐々に近づいていくのだが、これがじっくり描かれるのだ。もし1クールアニメであったのなら、1回負けても努力して次は勝つだろう。しかし、アイカツ!はなかなか勝てない。勝たせてもらえない。じっくり成長し、アイドルとして上に昇り詰めていく。
一方、アイカツスターズ!でも、ゆめちゃんがひめ先輩に憧れるように、上下関係はあった。むしろ、組のトップであるS4になるという明確な上への目標が、各組に所属する主要人物たちにあった分、アイカツ!よりも上下を意識した物語の進み方であったとも言える。しかし、1stシーズン終盤のS4決定戦において、ゆめちゃん、真昼ちゃん、あこちゃんの3人は憧れのS4の一員になることができる。S4とは学園の各組のトップ集団であり、生徒は皆S4を目指す。トップに昇り詰める流れがアイカツ!に比べるとスムーズだったため、ここは物語の通過点に過ぎないと感じた。2ndシーズン以降は、ゆめちゃんが皆に支えられながらエルザに挑む。先輩にも支えられるのだが、やはり共にアイカツしてきた同級生をメインに、横へ広がった人間関係が描かれていく。
また、これらの縦と横は、最終話直前の勝負ステージ回の描写に現れている。アイカツ!177話のスターライトクイーンを決めるステージの直前、あかりちゃんが思い出すのは、オーディションキャラバンの時の自分である。アイドルですらなかった0の自分。下にいた自分を振り返っている。主人公の集大成、作品としてのゴールで、上へと昇り詰めてきたあかりちゃんの成長を見せたのだ。
一方、アイカツスターズ!96話のアイカツランキング決勝ステージでゆめちゃんがステージ前に思い出すのは、一緒にアイカツをしてきて、自分を支えてくれる仲間達の姿である。また、96話のタイトルも「みんなで輝く!」である。自分の上にいた憧れの存在や成長した自分よりも、横に広がった人間関係を見せた。
以上がアイカツ!を縦、アイカツスターズ!を横に例えた理由である。
アイカツスターズ!の劇場版をまだ未視聴な上に、他の感想、考察ブログの閲覧もあまりしていない。コンテンツとしてまだまだ楽しめそうである。
PSYCHO-PASS サイコパス15話で槙島が言っていた事を解説する
『すばらしい新世界』と『1984年』を読んだ影響で、SF小説を数冊購入した。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』もその内の1冊である。
また、以前の記事で『PSYCHO-PASS サイコパス』を視聴している時に、ちょうど『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み進めていた。そして、『PSYCHO-PASS サイコパス』15話の槙島とチェ・グソンの会話でその名前が直接出てきた。
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15話の槙島とチェ・グソンの会話は、小説の知識がないと分からない。小説の知識を仕入れ、15話の会話の意味が理解できたので解説する。
まず、15話の槙島とチェ・グソンの会話で登場した主な単語について説明する。
前者3人は全員SF作家である。
ウィリアム・ギブスンは『ニューロマンサー』が代表作である。サイバーパンクの代表的な作家である。ニューロマンサーの小説の発売が1986年であり、当時のマシンのCPUクロックはMHzオーダー、RAMもKBオーダーだった時代の作品である。主人公は、電脳世界(マトリックス)に意識を没入する機器を用いた凄腕ハッカーであったが、仕事でヘマをしたことから脳の神経回路を損傷させられ、電脳世界に没入する能力を失ってしまう。やさぐれてヤク中になっていたところに、神経損傷を治すことを条件に仕事の話を持ち掛けられる。
サイバーパンクな世界観として具体例を上げると『鬼哭街』や『攻殻機動隊』であろう。『攻殻機動隊』は、ジャンルは違うが世界観設定というハードだけを見ればサイバーパンクともとれる。
フィリップ・K・ディックは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で有名である。『ブレードランナー』という映画の原作にもなっている。
ジョージ・オーウェルは、代表作に『1984年』『動物農場』が挙げられる小説家である。両作品とも、徹底された管理社会を描いている。
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『アンドロイドは電気羊を夢を見るか?』は、SF小説である。感情が備わっているほど高度に発達したアンドロイドが人間のために働かされており、逃げ出したアンドロイドを賞金稼ぎが破棄(破壊、殺害)していく物語である。アンドロイドは人間と見分けがつかないほど精緻である。自らがアンドロイドであるという自覚がない個体までいる。人間とアンドロイドを「フォークト=カンプフ検査法」という機材を用いた方法で判別する。
これらの知識を踏まえた上で、15話の会話シーンを詳しく見ていこう。
槙島「普通でない街か...。なんだろうな。昔読んだ小説のパロディみたいだ。この街は」
チェ・グソン「例えば....ウィリアム・ギブスンですか?」
槙島「フィリップ・K・ディックかな」
槙島「ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的でなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」
チェ・グソン「ディック....読んだことないなぁ。最初に一冊読むなら何がいいでしょう?」
チェ・グソン「古い映画の原作ですね?」
槙島が『PSYCHO-PASS サイコパス』で描かれている社会を「ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的でなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」と評している。
私が読んだことのあるオーウェル作品は『1984年』と『動物農場』である。どちらも独裁者に支配された社会を描いている。両作品における独裁者とは『1984年』では党であり、『動物農場』では豚のナポレオンである。オーウェルが描く支配的な社会とはこうだ。
彼のやろうとしていること、それは日記を始めることだった。違法行為ではなかったが(もはや法律が一切なくなっているので、何事も違法ではなかった)、しかしもしその行為が発覚すれば、死刑か最低二十五年の強制収容所送りになることは間違いない。
(中略)そして他にヒツジ二匹が、ナポレオンにことさら忠実だった老オスヒツジを殺したというのです。みんなその場で殺されました。こうして告白話と処刑がつづき、やがてナポレオンの足下には死体が山ほど積み上がって、あたりには血のにおいが重くたちこめるようになりました。
『1984年』の党は、権力のために権力を振りかざす。決して人のために支配しているわけではない。また、『動物農場』のナポレオンは富、欲、権力のために支配している。ナポレオンを含む豚たちが、禁止したはずのアルコールの味を知り、七戒を書き換えたシーンのように、独裁者の完全な私利私欲のためにルールまで変えてしまったことには恐怖を感じた。
一方、『PSYCHO-PASS サイコパス』の社会は、上記のオーウェル作品ほど支配的ではない。人々はシビュラシステムによって犯罪係数を監視され、犯罪を犯さずとも施設に収容されるが、法は存在するし日記を書くこともできる。ドミネーターは犯罪係数の値によっては対象を死に至らしめる出力を発生させるが、それは監視官と執行官にのみ許され、犯罪係数はシビュラシステムが弾き出す。人が急に蒸発したり、無実の罪を着せられたりすることはない。シビュラシステムは、独裁者というより管理者である。社会を安定に保つという目的のみを持っており、欲や富を求めて犯罪係数を計算しているわけではない。独裁者の不在という点だけを見ても、上記のオーウェル作品ほど支配的ではないことが分かる。
ウィリアム・ギブスンの作品はスプロール三部作とも言われている『ニューロマンサー』『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァドライヴ』を読み、現在、短編集である『クローム襲撃』を読み進めている。ギブスンの作風であるサイバーパンクをワイルドと評しているのだろう。ギブスンの描くサイバーパンクな世界では、サイバネティックスが一般化し、人体と機械の融合がありふれたものとして描かれている。現代においても最新技術である義肢などは、アンティーク品があるほどありふれたものとなっている。
バーテンダーの笑みが大きくなった。この男の醜いことは伝説ものだ。金さえ出せば美が購える時代だというのに、この男の美しくないことといったら、紋章めいてすらいる。年代ものの義手を唸らせながら、別のマグに手を伸ばした。これはソ連の軍事用義肢であり、七機能の強制フィードバック人口操作手を薄汚いピンクのプラスティックで覆った代物だ。
これが1986年に描かれたのだから驚きだ。
ギブスンが描く作品においてワイルドなのは作風というよりも、登場人物である。
「行っちまったよ。あんたの日立もって。やたらビクビクしてんの。鉄砲はどうしたんだい......」
女はミラー・グラスをかけていた。衣装が黒で、黒のブーツの踵が恒温フォームに深く喰いこんでいる。
(中略)
「今夜のあんた、ありゃ何さ。ゲーム場で、なぜあんな騒ぎを起こしたんだい。ヌンチャク持った出張マッポに追われたもんだから、殺っちまったじゃないか」
槙島が最初に言った「昔読んだ小説(のパロディ)」とは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の事であろう。刊行は1968年である。『PSYCHO-PASS サイコパス』の設定年代が2112年であることから、150年近く昔の小説ということになる。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、「フォークト=カンプフ検査法」という感情移入度を測定する方法によって、対象がアンドロイドか人間なのかを判別する。測定結果からアンドロイドだと分かればレーザー銃で破棄する。この「対象を測定して銃で破棄」という部分をパロディだと称したのだろう。私も同様の感想を抱いた*1。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ではアンドロイドに対して、白か黒かハッキリさせて黒であれば破棄するための測定を、同様に人間に対して行い、数値次第では殺害するような『PSYCHO-PASS サイコパス』の社会を普通でないと感じたのだろう。
*1:PSYCHO-PASSを見終わってからアンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読み終えた
PSYCHO-PASS サイコパスがすばらしい新世界と対照的だった
また、本書のあとがきに「『PSYCHO-PASS サイコパス』にも影響を与えた」と書いてあり、興味が湧いたのでPSYCHO-PASS サイコパス(以下サイコパス)を視聴した。私が虚淵作品に触れるのはこれが5作目である。
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確かに、サイコパスはすばらしい新世界と似通った点があった。同じディストピア作品としての枠組み以上に似通った点があったように感じた。すばらしい新世界のあとがきにも納得である。しかし、詳しく見てみると、この2作品は対照的な部分も多い印象を受けた。
本記事ではこの2作品の共通点と対照的な点を紹介する。どちらかの作品にしか触れたことのない人が本記事を見て、もう片方にも触れていただければ幸いである。
共通点
まず、共通点を2つ述べる。
1つ目は、「安定な社会」が描かれている点である。すばらしい新世界では、世界統制官によって、社会に対して市民が不満を漏らすことが無いように管理されている。そのため、テロや犯罪などは起きようもない。サイコパスでは、シビュラシステムによって常に犯罪係数を監視されている。もし犯罪係数が上昇したら、潜在犯として捕らえられる。サイコパスの世界では、犯罪を犯す前に捕らえられるので、何者も犯罪の被害に怯えることが無い。上記のように、人々は徹底した管理のもとで生活をしている。しかし、あくまでも市民のために管理している。
ちなみに、同じくディストピアの名作である1984年では違う。支配者は権力のための権力として社会を管理している。
「あなた方がわれわれを支配するのは、われわれ自身のためです」彼は弱弱しく言った。「あなたがたは人間には自らを律するだけの能力がないと信じており、それゆえに……」
彼はびくっとして危うく悲鳴を上げそうになった。身体中を激痛が走った。オブライエンがレバーを強度三十五まで上げたのだった。
(中略)
「では、わたしがその問いに対する答えを教えよう。こういうことだ。党が権力を求めるのはひたすら権力のために他ならない。他人など知ったことではない。
2つ目は、2つの世界*1に馴染めなかった物語のキーマンの存在である。
すばらしい新世界におけるこの人物はジョンである。すばらしい新世界における2つの世界とは、大勢の人間が暮らしている管理された文明社会と、旧文明の野人が暮らす保護区である。ジョンは文明社会の人間から生まれ、保護区で育った特異な存在である。ジョンは保護区でたまたま拾ったシェイクスピアの本を愛読していた。そのため、会話のいたるところで引用される。ジョンは文明社会へ連れていかれるのだが、文明社会がひどく歪んだものに見える。両親や恋人のような特に親しい人物がいない文明社会は、ジョンにとっては寂しいものに映っている。文明社会に来たものの、そこに馴染めなかった。結局、文明社会の人のように生活するのを諦め、文明社会の中で保護区のように自給自足生活を送ろうとするのだが、物珍しさで見物に来た大勢の文明人に嫌気がさし、自ら命を絶つ。
By ジェームズ・ティソ - Archive.org, from the Brooklyn Museum., パブリック・ドメイン, Link
一方、サイコパスにおけるこの人物は槙島である。サイコパスにおける2つの世界とは、被監視者として暮らす一般社会と、監視者としてのシビュラシステムである。槙島もまた読書家であり、会話の中で詩などをよく引用する。槙島は、シビュラシステムの支配する社会が気に入らない。また、免罪体質者であることから、シビュラシステムの一員になることを提案されるが、監視者になりたくないということから辞退する。槙島もまた、どちらの世界にも馴染めなかった。シビュラシステムに監視されている社会を破壊するためにテロを企てるも、阻止され殺されてしまう。
物語が進むにつれて、この両者にフォーカスが当てられていく。2つの世界に馴染めない、詩の引用、最期は死、など物語のキーマンがこのように似通っている。両者ともどちらかの世界に馴染むことなく死んでしまう。すばらしい新世界がサイコパスに与えた影響とはこの点が一番大きいだろう。
対照的な点
ここからは対照的な点を述べる。
- 社会を安定に保つのは人間が生まれる前か後か
- 社会を安定に保つのは自主的か強制的か
- 物語のキーマンである両者は自殺か他殺か
である。順に説明していく。
1.社会を安定に保つのは人間が生まれる前か後か
すばらしい新世界の人類は、受精卵を培養し、~90人までの一卵性多生児として瓶の中で育つ。それぞれの受精卵ごとにアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンの階級に分けられる。階級が後になるに従って単純労働者になる。それぞれの階級ごとに体格、免疫、対候性などが操作され、例えばアルファは背が高く、イプシロンは背が低い。ある程度成長して出瓶した後、条件付けと言われる処理によって、彼らは自らの階級に不満を持たないように潜在意識から変えられる。それにより、彼らは社会、自らの階級、生活などに一切の不満を持たない。人間の出生の段階から、社会を安定に保つための管理が始まっている。デルタですら、見下されながらも、それに不満を抱かないように条件付けが施されている。
「ひどい仕事?彼らはひどいなんて思っていないさ。その反対に、いい仕事だと思っているよ。子供でもできるような簡単な軽作業だからね。頭脳にも筋肉にも負荷がかからない。疲れない程度の軽い労働を七時間半やれば、あとは配給分のソーマとゲームとフリー・セックスと感覚映画が楽しめる。それ以上、何を求める?
一方、サイコパスでは、出生は現代社会と変わりない。しかし、生まれた後になって、シビュラシステムが仕事への適正、個人の犯罪係数を判定する。人々は適正の高い仕事についたり、犯罪係数の高かったら更生施設に送られたりする。もし適正に不満を持ち、鬱憤を晴らすために犯罪行為を行おうとすれば、犯罪係数が上昇するので捕らえられてしまう。シビュラシステムは、社会の安定を乱す要素を排除するためのシステムと言えるだろう。
2つの作品は、「安定な社会」を描いていると述べた。分かりやすく、「安定な社会」を「平らな道路」に置き換えてみよう。
すばらしい新世界において、道路を構成するブロックは、ブロックを作る段階で製作者の意図した形で作られる。それらを綺麗に敷き詰めれば平らな道路が完成する。一方、サイコパスでは、不揃いのブロックを敷き詰め、後からロードローラ―で踏みつけて平らにする。安定を乱す要素をあらかじめ排除しておくのか、後から排除するのかが対照的である。
2.社会を安定に保つのは自主的か強制的か
すばらしい新世界では、社会を安定に保っているのは人々である。人々は条件付けにより、自らの階級こそが最も素晴らしいものだと刷り込まれている。テロや犯罪を犯す気にはならない。また、憂さ晴らしのためのソーマ(薬物)もある。
サイコパスでは、街中に監視カメラがあり、犯罪係数をモニターされている。犯罪係数が高くなると、捕らえられてしまう。また、犯罪係数が高い者と関わると、犯罪係数が上昇する。例えば、犯罪者の人質である。これも社会の安定を乱す要素として、犯罪係数の値に応じた処理が強制的に行われる。
3.物語のキーマンである両者は自殺か他殺か
灯台のドアが少し開いたままになっていた。彼らはドアを押しあけ、鎧戸を下ろした薄暗がりの中に足を踏み入れた。部屋の向こう側にあるアーチ路の先に、上の階へ通じる階段の昇り口が見える。そのアーチ形の頂点のすぐ下に、二本の足がぶら下がっていた。
このラストについて、著者は、一九四六年に刊行された『すばらしい新世界』の新版に付した序文の中で、野人ジョンに、野蛮か文明か、の二つの選択肢しか与えなかったことが本書のもっとも大きな欠陥だと述べ、”いま書き直すとすれば、野人ジョンに第三の選択肢を与えるだろう.....正気の可能性を”と書いている。その第三の選択肢を求めて、数々の後続のディストピアSFが生まれたとも言えるだろう。すばらしい新世界〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)
おわりに
すばらしい新世界がサイコパスに影響を与えたと言われる理由を述べた。それは似通った特徴を持った2つの世界に馴染めない物語のキーマンの存在であった。しかし、大きな共通点の持ちながらも物語の要所を見てみると対照的な点も多い事も述べた。すばらしい新世界のあとがきを見た時には、共通点が多いと思ってサイコパスを視聴した。しかし、上記で述べたように対照的な点も多かったので本記事を書いた。
もし、興味が湧いてすばらしい新世界を読もうと思ったのならば、『1984年』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も読むことを勧める。1984年は槙島が4話で読んでいた本である。アンドロイドは電気羊の夢を見るか?は、15話でチェグソンに勧めていた本である。この2作はサイコパス視聴後に読んだが、サイコパスに少なくない影響を与えたように感じた。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
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アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
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