PSYCHO-PASS サイコパス15話で槙島が言っていた事を解説する

すばらしい新世界』と『1984年』を読んだ影響で、SF小説を数冊購入した。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』もその内の1冊である。

また、以前の記事で『PSYCHO-PASS サイコパス』を視聴している時に、ちょうど『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み進めていた。そして、『PSYCHO-PASS サイコパス』15話の槙島とチェ・グソンの会話でその名前が直接出てきた。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

15話の槙島とチェ・グソンの会話は、小説の知識がないと分からない。小説の知識を仕入れ、15話の会話の意味が理解できたので解説する。

 

まず、15話の槙島とチェ・グソンの会話で登場した主な単語について説明する。

ウィリアム・ギブスン

フィリップ・K・ディック

ジョージ・オーウェル

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 

前者3人は全員SF作家である。

ウィリアム・ギブスンは『ニューロマンサー』が代表作である。サイバーパンクの代表的な作家である。ニューロマンサーの小説の発売が1986年であり、当時のマシンのCPUクロックはMHzオーダー、RAMもKBオーダーだった時代の作品である。主人公は、電脳世界(マトリックス)に意識を没入する機器を用いた凄腕ハッカーであったが、仕事でヘマをしたことから脳の神経回路を損傷させられ、電脳世界に没入する能力を失ってしまう。やさぐれてヤク中になっていたところに、神経損傷を治すことを条件に仕事の話を持ち掛けられる。

サイバーパンクな世界観として具体例を上げると『鬼哭街』や『攻殻機動隊』であろう。『攻殻機動隊』は、ジャンルは違うが世界観設定というハードだけを見ればサイバーパンクともとれる。

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

 

フィリップ・K・ディックは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で有名である。『ブレードランナー』という映画の原作にもなっている。

ジョージ・オーウェルは、代表作に『1984年』『動物農場』が挙げられる小説家である。両作品とも、徹底された管理社会を描いている。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

『アンドロイドは電気羊を夢を見るか?』は、SF小説である。感情が備わっているほど高度に発達したアンドロイドが人間のために働かされており、逃げ出したアンドロイドを賞金稼ぎが破棄(破壊、殺害)していく物語である。アンドロイドは人間と見分けがつかないほど精緻である。自らがアンドロイドであるという自覚がない個体までいる。人間とアンドロイドを「フォークト=カンプフ検査法」という機材を用いた方法で判別する。

 

これらの知識を踏まえた上で、15話の会話シーンを詳しく見ていこう。

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PSYCHO-PASS サイコパス」、15話より


槙島「普通でない街か...。なんだろうな。昔読んだ小説のパロディみたいだ。この街は」

チェ・グソン「例えば....ウィリアム・ギブスンですか?」

槙島「フィリップ・K・ディックかな」

槙島「ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的でなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」

チェ・グソン「ディック....読んだことないなぁ。最初に一冊読むなら何がいいでしょう?」

槙島「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

チェ・グソン「古い映画の原作ですね?」

 

 

槙島が『PSYCHO-PASS サイコパス』で描かれている社会を「ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的でなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」と評している。

私が読んだことのあるオーウェル作品は『1984年』と『動物農場』である。どちらも独裁者に支配された社会を描いている。両作品における独裁者とは『1984年』では党であり、『動物農場』では豚のナポレオンである。オーウェルが描く支配的な社会とはこうだ。

彼のやろうとしていること、それは日記を始めることだった。違法行為ではなかったが(もはや法律が一切なくなっているので、何事も違法ではなかった)、しかしもしその行為が発覚すれば、死刑か最低二十五年の強制収容所送りになることは間違いない。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

(中略)そして他にヒツジ二匹が、ナポレオンにことさら忠実だった老オスヒツジを殺したというのです。みんなその場で殺されました。こうして告白話と処刑がつづき、やがてナポレオンの足下には死体が山ほど積み上がって、あたりには血のにおいが重くたちこめるようになりました。

動物農場〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

1984年』の党は、権力のために権力を振りかざす。決して人のために支配しているわけではない。また、『動物農場』のナポレオンは富、欲、権力のために支配している。ナポレオンを含む豚たちが、禁止したはずのアルコールの味を知り、七戒を書き換えたシーンのように、独裁者の完全な私利私欲のためにルールまで変えてしまったことには恐怖を感じた。

一方、『PSYCHO-PASS サイコパス』の社会は、上記のオーウェル作品ほど支配的ではない。人々はシビュラシステムによって犯罪係数を監視され、犯罪を犯さずとも施設に収容されるが、法は存在するし日記を書くこともできる。ドミネーターは犯罪係数の値によっては対象を死に至らしめる出力を発生させるが、それは監視官と執行官にのみ許され、犯罪係数はシビュラシステムが弾き出す。人が急に蒸発したり、無実の罪を着せられたりすることはない。シビュラシステムは、独裁者というより管理者である。社会を安定に保つという目的のみを持っており、欲や富を求めて犯罪係数を計算しているわけではない。独裁者の不在という点だけを見ても、上記のオーウェル作品ほど支配的ではないことが分かる。

 

ウィリアム・ギブスンの作品はスプロール三部作とも言われている『ニューロマンサー』『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァドライヴ』を読み、現在、短編集である『クローム襲撃』を読み進めている。ギブスンの作風であるサイバーパンクをワイルドと評しているのだろう。ギブスンの描くサイバーパンクな世界では、サイバネティックスが一般化し、人体と機械の融合がありふれたものとして描かれている。現代においても最新技術である義肢などは、アンティーク品があるほどありふれたものとなっている。

バーテンダーの笑みが大きくなった。この男の醜いことは伝説ものだ。金さえ出せば美が購える時代だというのに、この男の美しくないことといったら、紋章めいてすらいる。年代ものの義手を唸らせながら、別のマグに手を伸ばした。これはソ連の軍事用義肢であり、七機能の強制フィードバック人口操作手を薄汚いピンクのプラスティックで覆った代物だ。

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

これが1986年に描かれたのだから驚きだ。

 

ギブスンが描く作品においてワイルドなのは作風というよりも、登場人物である。

「行っちまったよ。あんたの日立もって。やたらビクビクしてんの。鉄砲はどうしたんだい......」

女はミラー・グラスをかけていた。衣装が黒で、黒のブーツの踵が恒温フォームに深く喰いこんでいる。

(中略)

「今夜のあんた、ありゃ何さ。ゲーム場で、なぜあんな騒ぎを起こしたんだい。ヌンチャク持った出張マッポに追われたもんだから、殺っちまったじゃないか」

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

 

槙島が最初に言った「昔読んだ小説(のパロディ)」とは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の事であろう。刊行は1968年である。『PSYCHO-PASS サイコパス』の設定年代が2112年であることから、150年近く昔の小説ということになる。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、「フォークト=カンプフ検査法」という感情移入度を測定する方法によって、対象がアンドロイドか人間なのかを判別する。測定結果からアンドロイドだと分かればレーザー銃で破棄する。この「対象を測定して銃で破棄」という部分をパロディだと称したのだろう。私も同様の感想を抱いた*1。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ではアンドロイドに対して、白か黒かハッキリさせて黒であれば破棄するための測定を、同様に人間に対して行い、数値次第では殺害するような『PSYCHO-PASS サイコパス』の社会を普通でないと感じたのだろう。

*1:PSYCHO-PASSを見終わってからアンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読み終えた